2011年08月10日

送り火とマツ

マスコミの報道に違和感がある。

1つ例え話を書いてみる。

毎年、夏のとある夜、京都の空港から飛行機が飛び立つ。滑走路には赤みがかった誘導灯が並ぶ。飛行機は、その誘導灯を目印に無事離陸する。

ところがある年、ある人が「今年はA市からも、たくさん飛行機が飛び立つ。A市の電球を有名な京都の空港で誘導灯として使ってもらうのが良いのではないか」と言った。A市は、京都から遠く離れた場所だ。京都の空港の返事を待たずして、A市では電球が集められ始める。

この話を耳にした人が「その電球は、ちゃんと点灯するのか?」と不安を口にする。京都のマスコミが「A市の電球が京都で誘導灯に使われるってステキな話だね。でも点灯するか不安に感じてる人がいるよ」と報道。()

京都の空港が「A市の電球は使いません」と発表。マスコミもそれ報道する。

京都の空港に「A市の電球は不良品だというのか!」と抗議が殺到。京都のマスコミが「京都の空港でA市の電球使わず。苦情千件」という見出しで報道。記事には「寄せられた約970件の意見は「批判的なものが9割9分」」とある。

例え話はここまで。

そもそも誘導灯は、そこの空港から飛び立つ飛行機が無事離陸できる様にと、気持ちを込められて並べられる。そんなことは、京都に長年いるマスコミなら、当然理解しているはず。だから、A市の電球は、A市から飛び立つ飛行機のためにA市で使われるべきだと思うし、マスコミからもの時点で「良いはなしだとは思うけど、でも誘導灯ってそういうもんじゃないからねぇ」という記事が出てくるものだと思っていた。

ところが実際の記事は正反対だ。電球が点くか点かないかを声高に叫び、煽られた声を更に盛り上げる。960件を900件と言うか1000件と言うかに意図が出ている。まさか、送り火を知らないはずもあるまい。ワイドショーはテレビの専売特許では無くなったようだ。

マスコミの報道に違和感がある。

そういえば、来年は市長選挙だ。選挙についての各社の報道姿勢にも注目してみたくなった。

posted by 吉永ゆうき at 14:14 | Comment(0) | このブログについて・その他